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山ちゃん5963

山ちゃん5963

五十一、イラク太陽熱研究所

五十一、イラク太陽熱研究所

ワシは昭和五十八年一月一日海外建設部勤務に決定した。また同年四月一日から技師に任ぜられた。いよいよ仕事は難しい部分をまかせられるわい。楽しいのう。勤務内容はイラク太陽熱研究所新築工事の国内受け皿、で日本国内においてサブコンと共に施工図の作成、そして資材調達イラクへの輸出を行う業務だ。国内業務が終わったら、バグダッドへ向けて出発だわい。

なかなか国内受け皿の仕事も慣れない初めての作業だから大変じゃった。BS(British Standard)資材の検査(Inspection)そして、梱包作業。梱包検査。輸出作業。積み込み。それから、イラクへ行く日本人に託す飛行機ハンドキャリーの整備、とまあいろいろ初めてする仕事が多くあったもんじゃ。ジャンボ田中に色々教えてもらったなあ。イラクへの連絡手段はテレックスが主だった。特に戦時下で、電話がほとんどかからなかった。かかったとしても日本語のわかるイラキーに盗聴されていた。まあしかしそのような戦時状況下の現地で仕事をする技術者はたいしたもんだったなあ。ワシに本当にイラクでの仕事ができるのかい。不安要素は多々あったなあ。しかし、乗り出した船だ頑張ろうぜ。おー。
イラクで使用する太陽熱の収熱パネルはシャープソーラー事業部で製作した。工場は奈良県天理市にあった。ワシは製品検査の為シャープ工場にシャープの部長と共に行った。さて検査も終了し、明くる日、ワシだけ奈良県飛鳥の遺跡に行った。石舞台。酒船石。亀石。これらは一体全体何じゃろうか?さぱりわからん。諸君興味があれば松本清張『古代史疑』を読めやーい。飛鳥時代に来た渡来人。きっとペルシャ人じゃろうなあ。彼らは百済から舞鶴そして丹波氷上の水分かれを通ってここ飛鳥にたどりついたのじゃろうなあ。多分。きっとそうに違いない。きっと。なんて考えながら飛鳥の里の一日を楽しんだものだった。あの頃は夢が大きく膨らむ頃だったんじゃなあ。



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